年吉研究室へようこそ。当ラボは、東京大学生産技術研究所(駒場)のマイクロナノ学際研究センターに所属するMEMSの研究室です。このページでは、MEMSという単語を初めて聞いたという人のために、その歴史、概念、技術、応用などを紹介します。
MEMSは、「めむす」と読みます。英語の Micro Electro Mechanical Systems の略称で、アクセントは「
写真のアリ*3の足下にあるごちゃごちゃとした構造*4が、MEMSデバイスの例です。MEMSと精密機械との違いはどこにあるのでしょうか? MEMSの歴史をみると、そのヒントが見えてきます。
MEMSはすでに、私達の生活の中に入り込んでいます。たとえば、左の写真は米国アナログデバイセズ社*5の加速度センサです。この中に、半導体LSIで使われるシリコン製の小さな「重り」が入っています。しかもその重りは、これまたシリコン製の「バネ」で吊られています。このチップに外から力が加わると、チップ基板と重りの相対的な位置関係が一瞬だけずれるので、その変位を検出することで加速度を検出します。加速度センサ製品はすでにいろいろあり、たとえばクルマが衝突したときに開くエアバッグの制御系に使われています。また、最近ではTVゲーム機のコントローラー*6や、スマートフォンにも入っています。スマートフォンを横倒しにしても画像が正しく表示されるのは、搭載された加速度センサが地球の重力の向きを感知しているからです。
左の写真は、米国テキサスインスツルメンツ社の画像ディスプレィ用マイクロミラーDMD*7です。ひとつの大きさが16ミクロン角くらいの小さなミラーが、全部で百万個以上、LSIチップの上に敷き詰められています。ミラーはひとつずつLSIの電気信号で個別に動かすことができて、反射光の角度を制御します。このミラーをリアルタイムで制御することによって、百万個以上の画素から構成される動画像を投影するのです。最近では、DMDを搭載したビデオプロジェクタが研究会などでよく使われています。一見すると液晶プロジェクタと同じように見えますが、スクリーンに近づくと、ミラーひとつひとつの四角い形が見えます。
MEMSデバイスはこのように、非常にハイテクです。ところが、その先行開発例は、MEMSという言葉が生まれる前の1970年代にはすでに始まっていました。左の写真は、1975年にウェスティングハウス社が発表した大きさ50ミクロンくらいの可動ミラーアレイです*8。これも、画像ディスプレィとしての応用が考えられていました。当時はLSI技術はなかったので、ミラーの駆動には電子線を用いています。昔のテレビモニタ(CRT、ブラウン管)のように、電子を真空中に飛ばしてミラーに当てて、電荷が溜まったミラーだけが静電気で傾くという方式です。まるで、ブラウン管とメカのハイブリッドです。よこの写真は、ミラーアレイを用いた電光掲示板(空港の離発着案内)です。
また、左の図面は、半導体MOSトランジスタのゲートを機械的に動くようにしたもので、1967年に報告された例です*9。もちろん、この当時にもMEMSという言葉はありませんでした。通常のMOSトランジスタでは、金属や半導体のゲート電極は酸化膜上に固定されています。ところがこれは、そのゲートを動かせるようにしたものです。可動ゲート構造を用いることで閾値が変えられるトランジスタや、外部の振動を検出できるセンサとしての応用が考えられていました。
さらに歴史を遡ってみましょう。MEMS、ナノテクの可能性を最初に言及した人物として、米国カリフォルニア工科大学のノーベル賞受賞学者、リチャード・ファインマン先生にたどりつきます。彼は大学の講義の中で、There's plenty of room at the bottom (小さな世界にはいろいろなチャンスがある)という、将来を予言するような話をしています*10。たとえば、針(ピン)の頭の部分に、百科事典全巻を縮小投影してコピーをとることを提案したり、そのコピーを読み書きするための技術として、電子ビームや原子操作などを提案しています。なかでも有名なエピソードとして、1インチの64分の1の直径で動くモータを作った人に、1000ドルの賞金を出すと宣言したことが挙げられます。
ファインマン先生の講義の翌年の1960年に、W.マクレラン氏によって1インチの64分の1の大きさのモータが発表され、同氏はファインマン先生から1000ドルを貰ったのだそうです*11。
駆動機構まで小型化した本当の意味でのマイクロモータは、1989年になってようやく報告されました。左の写真はカリフォルニア大学バークレー校にいたY.タイ氏(現在はカリフォルニア工科大学の教授)が、半導体プロセスを用いて製作した静電駆動型のマイクロモータです*12。写真の中央にある十文字の構造がロータで、中央の固定ピンを軸にして回転します。回転のためのトルクは、周囲にある12個のステータ電極に電圧を掛けて、そこで発生する静電引力を使っています。
タイ氏のマイクロモータは、金属薄膜やシリコン薄膜を用いた半導体プロセスを応用して製作した点で画期的でした。集積「回路」を作る技術を用いて、微小な「機械」を作ることができるのです。このアイデア(概念)が出発点になって、様々なマイクロ機構が提案、試作されました。日本では、東京大学生産技術研究所の藤田博之先生とIBM東京基礎研究所のグループ*13が、19902年にニッケルメッキ構造を用いて静電マイクロモータを作りました。このモータも、半導体プロセスのフォトリソグラフィを使って作られています。マイクロモータの直径は100ミクロン以下で、人間の髪の毛の太さ(80ミクロン)と同じくらいです。質量が大変小さいので、1秒よりもずっと短い時間内で毎分10,000回転に到達することができます。
上記の静電マイクロモータは、いまでは中学校の理科の教科書にも取り上げられるようになりました(東京書籍、新しい科学・1年・上)。このモータの設計と製作にあたった平野敏樹氏(現・HGST社、カリフォルニア州サンノゼ市)に伺ったところ、「当時はMEMS研究のはじめの頃で、マイクロアクチュエータの試作が盛んだった。でも一体何に使えるのか、という質問の対応に大変苦慮しました」とのことでした。あれからもう四半世紀近くたった現在では、MEMS技術はスマートフォン用のシリコンマイクロフォンや画像の向きを決める重力センサ(加速度センサ)、自動車のタイヤ圧力センサ(TPS)、光ファイバ通信分野に浸透しており、MEMSを使わずに生活することは考えられません。
ちかいうちに、この教科書を使った学生が大学に入学するようになるでしょう。当ラボの教員(年吉)は東大教養学部で1年生向けの電磁気学の講義を担当しており、クーロンの法則やガウスの法則など、静電気の講義の際にマイクロアクチュエータを引用しています。
このマイクロモータはどのようにして動くのでしょうか? その原理は、静電引力です。日常生活で感じる静電引力は、カーペットの上を歩いた後にドアノブに触った瞬間に感じる放電や、下敷きで髪の毛をこすって逆立てるときなどに思い出す程度です。静電引力は小さな力なのですが、マイクロモータのようなミクロン寸法の世界では重力よりも支配的な力になります。その理由は、重力が物体の体積の3乗に比例するのに対して、表面力である静電引力は寸法の2乗に比例するためです。
静電モータの場合には、外側にあるステータ電極に順番に電圧を印加していくことで、ロータをすこしずつ引きつけていきます。このうごきは、ちょうどコンパクトディスク(CD)を人差し指に引っかけてクルクルと回すときの動作に似ています。ロータと中心軸は、滑らずに接触しているので、摩擦によるエネルギー損失はありません。表面力の一種である摩擦も、マイクロな世界では支配的になります。そこで、摩擦せずに動く機構がMEMSではよく使われているのです。
つぎに、MEMSの作り方の特徴を見てみましょう。小さな機械といえば、機械式時計のムーブメントを思い出すことでしょう*14。時計の機構は、100点以上の機械部品が組み合わさってできています。それぞれの部品は、その目的に合わせた材料を用いて最適な製作法で作り、最後に良品だけを選別して手作業でムーブメントを作ります。精密機械では、最後は人の手で組み立てられることが多いのです。手作業には時間が掛かるため、いちどきにつくれる製品は1個です。もちろん、産業界では極力オートメーション化して、量産する努力がなされています。
一方、MEMSの特徴は、最終的な組み立て工程が無い、という点にあります。半導体プロセスを応用して機械を作っていくので、シリコン基板の表面にいろいろな材質の膜を付けて、それを部分的に削り、また付けて、削り…を繰り返します。材料とは、たとえば、シリコン(単結晶、多結晶、アモルファス)、金属、シリコン酸化膜など、いわゆる半導体プロセス・製膜プロセスで使えるものの中から選んで使います。プロセスの最後に、機械的な構造を動くようにする必要があります。これが、MEMSプロセス特有の「リリース」工程です。たとえば、シリコンでできた構造の下には、シリコン酸化膜があったとしましょう。シリコン酸化膜はフッ酸で選択的に除去できます。シリコン製のマイクロ構造は溶けたり削れたりしないので、最後まで残るわけです。MEMSの機構は大変小さいので、水や空気に流されて、基板の上からいなくなってしまうかも知れません。そこで、大抵のMEMS機構は、どこかで基板にくっついた状態で作られます。この部分を「アンカー」と呼びます。
MEMSプロセスは半導体プロセスを使います。平たい膜を削って作る技術なので、完成品は基板平面に平行な平たいものが多くなります。しかし、平たくつくった構造を基板面から引き起こして、左の図のような3次元マイクロ構造を作ることもできます。この3次元構造の根本には、ドアの蝶番(ちょうつがい)のようなマイクロヒンジ構造が使われています*15。この構造の提案者は、カリフォルニア大学バークレー校のKSJ・ピスター氏(現、同校の教授)です。また、左の写真はカリフォルニア大学ロサンゼルス校のM.C.ウー先生のグループが作った3次元マイクロ光学ベンチです*16。半導体レーザーを固定する部品と、ビームスプリッタ、フレネルレンズなどが1cm角のシリコンチップの上に載っています。もちろん、半導体プロセスと同じ方法で作りますので、最初から位置合わせができている光学系です。
MEMSの駆動機構の最初の例として回転するモータを取りあげました。MEMSの駆動機構をひとくくりにして、「マイクロアクチュエータ」と呼びます。小さな駆動機構の意味です。マイクロアクチュエータの原理、動く向きはじつに様々です。左の図の中には、静電気で回転する機構、基板面内に倒れ込むように動く機構、基板面上で水平動作する機構、圧電体で基板面外に動く機構を取りあげてみました。他には、通電加熱で熱膨張する機構や、電磁力で動くものなど、いろいろなマイクロアクチュエータがあります。
このように、「動き」がMEMSの特徴ですが、それだけではありません。MEMSの本質は、東大生産研の藤田先生によると、3つのMで言い表せます。すなわち、マイクロ化(Micro)、大量生産性(Mass Production)、複合機能(Multi Function)です。半導体プロセスを使って作れば、一枚のウエハの上に多数の回路コピーが同時にできます(バッチプロセス)。これと同じ原理で、いちどに大量のマイクロ機械ができることが、Mass Productionです。また、ひとつのチップ上に、電気、機械、光学…の複数の機能素子を集積することができます。これが、Multi Functionです。MEMS技術は次世代エレクトロニクスの製造基盤技術として注目されているのは、これらの3つのMによるものです。
左の図面は、財団法人マイクロマシンセンター*17が定期的にとりまとめているMEMS市場調査結果です。情報機器、医療、クルマ、バイオなど、実にさまざまな方面でのMEMS応用が期待されていることが分かります。とくに、クルマに搭載するセンサが特段に大きいようです。
また、日経BPの記事*18によると、2009年までのMEMSの世界市場は左の図に示すようにインクジェット用プリンタ・ヘッドと画像プロジェクタが市場を牽引しており、2010年には71億280万米ドルに成長したのだそうです。また、その後は2ケタ成長して、2015年にはなんと113億米ドルが見込まれており、その牽引役はスマートフォン、タブレット端末のセンサだそうです。
このように見てみると、MEMSの応用分野は大別して、電気信号を入力して機械的な出力を取り出すマイクロアクチュエータ系と、それとは逆に、機械的(あるいは化学的)な入力を電気信号に変換するマイクロセンサ系の応用があることに気づきます。前者の例として、画像ディスプレィ用のマイクロミラーアレイやインクジェットプリンタのノズルが挙げられます。一方、後者の代表例は、加速度センサやジャイロスコープ、シリコンマイクロフォンです。
センサの信号そのものはμVからmV程度と小さいために、これを電気信号として取り扱うためにはアンプが必要です。もしアンプ無しで大きな電圧(あるいは電流)が取り出すことができるとどうなるでしょう? 最近では、MEMS構造によって環境から微小エネルギーを回収し、電源として利用する手法の研究が進められています。すなわち、MEMS応用の第3分野として、エナジー・ハーベスタが登場しました。
MEMSは製造技術・手段です。その適用分野は広く、センサ技術、マイクロ流体、微小光学、無線通信、微小発電など、さまざまな方面への応用が期待されています。また、複数の学術領域にまたがる複合領域なので、大学として研究する余地(Room)が多く残されている分野でもあります。学会レベルでは、電子情報、電気、応用物理、化学などの分野で、MEMSに特化した研究会が定期的に開催されています。また、細分野を横断してMEMS研究者を一同に会する国際会議もあります。MEMSはこれから、独自の理工学を構築すべき分野なので、大学の研究としてやりがいあります。
MEMS分野が歩んだ歴史に関しては、大学院生向けの読み物として2010年に応用物理学会の集積化MEMS技術研究会の委員が中心となって、「発展史マップ」を作成しました。この中では、MEMSに関する製造技術、アクチュエータ応用、センサ応用の3本の歴史を軸に、1950年以降のエポックメイキングな事例を紹介しています。詳しくは、こちらをご覧下さい。(本稿は日本語版のみを作成。2013-04-04)
一方、2040年までの将来に目を転じて、これからMEMS分野に登場しそうな新技術・新アプリケーションを予想したものが、同じく応用物理学会・集積化MEMS技術研究会による「将来ビジョンマップ」です。この中では、構造のマイクロ化(Micro)、機能のマルチ化(Multi-)、素子数の大規模・大面積化(Mass)の3つの流れは技術の必然であると捉えて、センサ、ディスプレィ、エネルギー、医療、衣食住、人体、脳などの様々な分野へのMEMS技術の浸透を描いています。ただし、技術の進歩は思っていた以上に速く、すでに時期を前倒しして実現しているMEMSもあります。詳しくはこちらをご覧下さい。(本稿は日本語版のみを作成。2013-04-04)
また、MEMS分野の製造技術を定量的に予想すると、システム設計の解像度(デバイスの最小寸法)は1ナノメートルから10ミクロンまでの4桁にまたがる領域で技術が発展し、かつ、それらの機能を詰め込んだシステム全体の寸法は、それこそLSIチップ上のごく一部分のサイズから、1メートル程度の大面積に至るまで、広いレンジをカバーする製造技術が必要になるかも知れません。おそらくは、遺伝子操作のように原子・分子をボトムアップ的に組み上げて大きなシステムに至る手法と、半導体プロセスや印刷技術のように、大きな原版(フォトマスク)の中に高精細な部品を詰め込むトップダウン的な手法の両方が必要になることでしょう。(本稿は日本語版のみを作成。2013-04-04)
本研究室では、MEMSの製作法、設計法を基盤技術として、産業界とともにMEMSの微小光学(光通信・画像ディスプレィ・医療内視鏡)や、高周波無線機器(RF−MEMSスイッチ)への応用研究を行っています。その詳細は、研究紹介をご覧ください。
MEMS分野の論文がよく投稿されるジャーナルを、下記内部リンクにまとめました。